<夢の凝視者> 版画家 深沢幸雄 |
清原啓子の銅版画を見る人は、その驚くべき清緻と、異様なまでの描写への執念に、先ず眼を見張るに違いない。特にその近作は1年に1作、正に万余の線が引かれ、万余の点が打たれ、およそ他に類をみない密度をみせている。だが、白日の下、浜辺の砂物を一つづつ拾いあげる様なこの克明さは、何処から生まれてくるのだろう。彼女はそれを自らの夢の世界の凝縮だと云うのである。彼女は幼ない日から夜毎の夢に強い関心を持ち、可能な限りその記録をとり続けたことがあると云い、画家を志したのも、実はこの夢を描きたいと云うことから出発したのだと云う。夢とは潜在意識や経験の集積から成るものだろうが、彼女はそれを醒めた眼で、可能な限りを重ね合わせて、己の内部・深層を構築しようとするのだろう。そしてそれらの夢たちは如何にも若い女性の作品らしく、繊麗な魅惑に満ちている。 |
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<彗星 銅版画の清原啓子> 版画家 深沢幸雄
-銅版画家 清原啓子 (2006年八王子市夢美術館にて)パンフレットより |
80年頃から完成期に入り、森の中、卵殻の中に潜む天使の物語「雨期」。裂けた牙に貫かれた肉体の「後日譚」等が誕生、
遂に82年、代表作「領土」が出現し、日本版画協会賞を受け、始めて多くの人々が、天才清原の作品に遭遇した。この頃は緻密で、
一年に一点か二点のペース、だから僕は楽に効果の出るアクワチント等を勧めたが、これは何としても受け付けず、黙々と巨万の
点を打ち、巨万の線を引いたのだ。実に頑固だったといって良い。「領土」のあと数点、甘い抒情の時を迎えたが、徐々に作風に
暗愁が漂よい始め「魔都夢譚」「魔都」といった案鬱を帯びた作品となり、87年遂に傑作「孤島」を潰して急逝した。
この作品は誰が見ても曼荼羅だという。 |