番町画廊 / 清原啓子

清原啓子 KIYOHARA KEIKO

トピックス Topics

<夢の凝視者> 

 版画家 深沢幸雄

清原啓子の銅版画を見る人は、その驚くべき清緻と、異様なまでの描写への執念に、先ず眼を見張るに違いない。特にその近作は1年に1作、正に万余の線が引かれ、万余の点が打たれ、およそ他に類をみない密度をみせている。だが、白日の下、浜辺の砂物を一つづつ拾いあげる様なこの克明さは、何処から生まれてくるのだろう。彼女はそれを自らの夢の世界の凝縮だと云うのである。彼女は幼ない日から夜毎の夢に強い関心を持ち、可能な限りその記録をとり続けたことがあると云い、画家を志したのも、実はこの夢を描きたいと云うことから出発したのだと云う。夢とは潜在意識や経験の集積から成るものだろうが、彼女はそれを醒めた眼で、可能な限りを重ね合わせて、己の内部・深層を構築しようとするのだろう。そしてそれらの夢たちは如何にも若い女性の作品らしく、繊麗な魅惑に満ちている。

 

 

<彗星 銅版画の清原啓子>

 版画家 深沢幸雄

 

 

 

 

 

 

 

 

-銅版画家 清原啓子

(2006年八王子市夢美術館にて)パンフレットより


清原啓子が銅版画を始めたのは1976年。多摩美術大学の4月、初歩の技法解説をしてから、1ヶ月半位だったが、第一作 「鳥の目のレンズ」を見せられた時、真実、僕は仰天した。そこには清麗な幻想が、驚くべき確かな技術で表現されていたのである。僕は言った。「清原君、君は大変な銅版画家になりそうだ、何かひどくキラキラしたものが見えるんだ、ひとつ頑張ってやって 見ないか」。繊細で優しい学生、嬉しかったのだろう。笑顔を見せて「はい」と呟やく様にうなづいた。それから11年、正に縷骨、命を削る様な探求と構築の日々が流れて行ったのである。 彼女の言葉に「今は物語り性の絵など、タブーの様だが、私は時代錯誤と思われても、絶対にそれで行く・・・・」と強烈な信念を述べているが、正にその物語る絵、一筋 道を貫き通したのだ。大変な読書家で、書籍も特異な物が多く、時には居酒屋で盃を傾けながら、夢野久作、久生十蘭といった作家の、神秘的、耽美的な情感についても語るのだった。

80年頃から完成期に入り、森の中、卵殻の中に潜む天使の物語「雨期」。裂けた牙に貫かれた肉体の「後日譚」等が誕生、 遂に82年、代表作「領土」が出現し、日本版画協会賞を受け、始めて多くの人々が、天才清原の作品に遭遇した。この頃は緻密で、 一年に一点か二点のペース、だから僕は楽に効果の出るアクワチント等を勧めたが、これは何としても受け付けず、黙々と巨万の 点を打ち、巨万の線を引いたのだ。実に頑固だったといって良い。「領土」のあと数点、甘い抒情の時を迎えたが、徐々に作風に 暗愁が漂よい始め「魔都夢譚」「魔都」といった案鬱を帯びた作品となり、87年遂に傑作「孤島」を潰して急逝した。 この作品は誰が見ても曼荼羅だという。
31才。製作期間は11年、作品は30点。せめてあと10年あったらと切に思う。

Copyright (C) Bancho Gallery. All Rights Reserved.
Artists | KIYOHARA KEIKO